バスのアナウンスで発見です!
艦これで、軍艦の名前を覚えた私です。
ミーハーなのは否めませんが、それでも気になったアナウンスがありました。
呉駅からバスに乗って、音戸の瀬戸へ向かっている途中、停留所の案内に続いて、「巡洋艦青葉、終焉の地、記念碑前」とか聞こえてきたのです。
その時は予定があったので降車できませんでしたが、呉駅に戻る際は歩くことにして、記念碑に寄ってみました。
今思えば、歩くのはちょっと大変でしたけど・・・(*’-‘*)
ちなみに場所はこちらになります。
おすすめの観光場所に示されていないのは、ちょっと残念ですね。
この記事は、音戸の瀬戸から呉駅まで歩いた途中の、巡洋艦 青葉終焉の地 記念碑周辺の記事です。
全体の記事は、こちらから見ることができます!
歴史の見える丘や、海上自衛隊呉基地などが載っています。
いざ、巡洋艦「青葉」終焉の地 記念碑へ
バスに乗っていてアナウンスがあった場所までやってきました。
記念碑はどこかなぁと見渡すと、ひっそりと看板が!
近寄ってみると、どうやら少し歩くようですね。
200mを2分であるくということは、時速6km。
ちょっと早足くらいでしょうかw
いや、どうでもいいですね(*’-‘*)
道なりに歩いてくと、広場にポツンと見えてきました。
近づいてみると、記念碑に間違いないようです。
周りに自衛隊や旧海軍にまつわる施設もなさそうなのに、どうしてここにあるのか?
と、思ったのですが、終焉の地という言葉から、なんとなく察せられました。
巡洋艦「青葉」終焉の地 記念碑
記念碑をよく見て見ると・・・
あれ?
元内閣総理大臣 中曽根康弘 書とありますね。
どういう関係があるのかなと思って、建碑記を読んでみると・・・
なるほど、乗艦経験があったようですね。
海軍主計中尉時代に青葉に配属されたようです。
総理としては知っていましたが、こういうのは知らなかったです。
年代的に当然なのかもしれませんが、すぐにピンと来ない年代なんですね、私も。
この記念碑、まだまだ新しい感じがしていましたが、平成24年に建てられたようです。
西暦でいうと、2012年だから、7年前ですか。
どういった経緯で建てられることになったかはちょっと分からなかったのですが、もう戦争というものがピンと来ない年代になってきたので、少しでも後世に残したいという想いが込められているのかもしれませんね。
一等巡洋艦「青葉」
巡洋艦「青葉」の戦歴がこちらです。
沢山出撃しているのは、その都度帰ってきているからですね。
この「青葉」。
着底状態ではありますが、とりあえず終戦を迎えれた「青葉」。
特筆すべきことは、「ソロモンの狼」と呼ばれたことではないでしょうか!
4度の大破を経験しながら、3度の修理を経て戦線に復帰しているのです。
「あれ?あいつこの前大破させたはずじゃね?」とか言われたと思いますよw
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「青葉」といえば、「ワレアオバ」というエピソードが有名でしょうか。
夜間の航行中、前方に艦影が・・・
敵艦隊はいないという情報がもたらされており、先行していた味方艦(水上機母艦 千歳・日進)と誤認し、味方だよ!というつもりで「ワレアオバ」と発光信号を送りました。
返ってきたのは、敵艦隊からの砲弾でした・・・(;´Д⊂)
味方識別を誤ると、ほんと酷い目にあいますね・・・
まあ、いないと聞かされていた敵艦隊が居たんですから、「青葉」もたまったものじゃないですが。
終焉の地
なんども復活した「青葉」ですが、4度目の修理はなされませんでした。
呉になんとか戻るも、あまりにも損傷が激しく、すぐに対応できなかったのが理由だそうです。
その後、この終焉の地付近で防空砲台として奮戦しますが、爆撃機の爆撃により、大破着底となりました。
そのまま終戦を向かえた「青葉」は、その年の冬に解体されたそうです。
以下は、記念碑の海側の風景です。
撮影時は、このあたりの海の何処かで着底したのかなと思いました。
が、もしかしたらですが、記念碑があったところは埋め立てられてできた土地のようにも思えます。
というのも、建碑記にある写真を見ると、山裾と海岸の間がとても狭いのですが、記念碑のある場所あたりは山裾から少し距離があるからです。
個人的感傷ですが、実際に「青葉」が着底した場所に記念碑が建てられていたらいいなぁと思っています。
あくまでも妄想の類で、確かめた訳ではないので、鵜呑みにしないでくださいね。
でも、そういう想像を働かせるのも、旅の思い出になってよくないですか?
おわりに
音戸の瀬戸から呉駅に向かう途中の、巡洋艦「青葉」終焉の地 記念碑のご紹介でした。
案内板にも載っていなかった記念碑ですが、偶然の発見が旅の醍醐味かもしれませんね
この呉の地には「青葉」以外にも同じように終戦を向かえた「伊勢」「日向」「榛名」といった艦これでもよく使う艦がいました。
また呉に行く機会があれば、他の艦、縁の場所に行ってみたいですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。