広島県は呉に行ったので、気になったルートを歩いてみました
戦艦大和のふるさと、呉に行く機会がありました。
と言っても、向かったのは大河ドラマにもなった平清盛のとある伝説がある音戸の瀬戸。
艦これやWorld of Warshipsに感化されて護衛艦や潜水艦を見てみたいけど、大和ミュージアムにも寄らず呉駅からバスにのり一路、音戸の瀬戸へ向かいました。
バスでの移動でしたが、海上に浮かぶ護衛艦や潜水艦、ドックに入っている整備中(?)の護衛艦などが窓から見えてテンションあがりました。
そんな中、次の停留所のアナウンスで「巡洋艦 青葉、終焉の地 記念碑前?」(正確ではないと思いますが、ニュアンスは合っているはず)というのが聞こえてきたのでした。
がぜん興味を惹かれましたが、そのまま降りるわけにはいかないのでそのまま通過しましたが、呉へ戻るときは時間を割いて歩いて向かおうと決意したのでした!!
以下は呉市の観光案内のマップです。
(クリックすると拡大します)
(ファイルサイズが少し大きいです)
ルートは、マップ左下にある音戸の瀬戸にある清盛塚から、マップ上部の呉までです。
結果を述べると、ちゃんと歩いたのですが、2時間半くらいかかりました・・・
途中で、海自カレーを食べたりしたんですけど、とっても疲れました、もう歩くことは無いでしょうけどw
平清盛が開削した音戸の瀬戸
まず最初に向かったのが、音戸の瀬戸という、いわゆる海峡です。
場所は、以下のオレンジ色の円の位置になります。
この海峡は、大河ドラマにもなった平清盛が開削したという言い伝えがあるようです。
なんでも日招き伝説といい、開削工事があと少しで終わるというところでお日様が沈んだため、清盛が扇を手にお日様を呼び戻して工事を完了させたというものです。
一説には、この開削工事を1日で終わらせるために、お日様を扇ぎ留めて時間を稼いだとか。
これが音戸の瀬戸なのですが、まあ、1日ではムリッすw
赤い橋は、音戸の瀬戸にかかっている音戸大橋です。
乗ったバスは、この橋を通って音戸に到着しました。
よく見ると奥にもうひとつ橋があります。
こちらは、第二音戸大橋、別名、日招き大橋といい、最近できたようです。
この距離で2つの橋があるなんて、ちょっとビックリです。
わざわざ作ったのだから、橋が一本だと渋滞とかしてたんでしょうかね?
で、この音戸の瀬戸ですが、海路の交通の要所なのですが、幅が狭く潮の流れが速いため、昔から難所と知られていたようです。
確かに潮の流れは速そうに見えました。
目測で、大体70~80mくらいでしょうか?
昔なら、ボールを投げれば届いたかも!?
そして、こちらが清盛の像になります。
音戸の瀬戸のすぐ近くにある、「おんど観光文化会館うずしお」の2階に建っていました。
大河ドラマで平清盛を放送していた頃は、専用のブースがあったようですが、すでに見当たりませんでした・・・
さて、呉まで歩いて戻ろうと、今度は音戸大橋を通らずに、音戸の瀬戸を渡してくれる渡船に乗ってみました。
運賃は100円でした。
自転車やバイクのお値段も書いてあったので乗せられるのでしょうが、ちょっと怖いかもです(>_<)
渡船でわたる途中も、フェリーが通過した波が押し寄せ、ちょっとしたアトラクションでしたw
ちゃんとベンチに座ることをお勧めします!
巡洋艦 青葉終焉の地の記念碑
次に向かうは、バスのアナウンスで聞いた、巡洋艦 青葉の記念碑です。
場所は、観光マップには載っていませんでしたが、以下になります。
渡船で音戸の瀬戸を渡り、呉に向け歩くこと20~30分でしょうか、看板が見えてきました!
バスのルートから見える看板の位置から、あと200m進んだらあるみたいです。
矢印に従って道なりに進むと、ちょっとした広場にポツンと見えてきました。
巡洋艦 青葉は、大破して修理のために呉に戻ってきたのですが、損傷が激しく修理の見込みがたたなかったようです。
それでも防空砲台としてこの地に繋留され呉の地を守るも、空襲により被害を受け着底、そのまま終焉を向かえました。
記念碑をよく見ると、中曽根康弘元総理大臣の名がありました。
巡洋艦 青葉に乗艦経験があった繋がりで、揮毫いただいて碑は建立されたようです。
巡洋艦 青葉はゲームでもお気に入りの艦なのですが、こうした碑を直に見ると、ちょっと考えさせられますね・・・
こちらのリンク先では、もう少し写真を掲載しています。
呉でバスに乗ってて見つけた、巡洋艦「青葉」終焉の地 記念碑!ひとり暮らしの探訪事情
よかったらこちらもご覧ください。
護衛艦と潜水艦
さて、さらに歩くこと30分あまり?
場所は、以下の辺りです。
海上に浮かぶ護衛艦と潜水艦が見えてきました。
あと、お腹が空いてきたので、ここでは、ついでにランチを採りました。
海自カレーのひとつ、くろしお特製 広島風柔らか牛すじカレーを頂きました。
この記事が長くなってしまうので、記事を分割します。
こちらも見てみてください!
歴史の見える丘、戦艦大和の記念碑
ランチを食べながら休息し、また歩き始めました。
大体15分ほどあるくと、戦艦 大和を建造した(らしい)ドックが見えてきます。
大和を建造したドックの上屋は、当時の物みたいです。
また、護衛艦も整備中?なのか、ドックに収まっていました。
その他、この歴史が見える丘という場所に、大和の記念碑らしきものがありました。
歩いているだけでこういった記念碑が見つかる、さすが呉ですね。
この記事が長くなってしまうので、記事を分割します。
こちらもご覧ください!
旧呉鎮守府司令長官官舎と大和マンホール
道路を道なりに進むと、左手に海上自衛隊呉地方総監部が見えてきます。
旧呉鎮守府です。
艦これしてると、ちょっとテンションがあがるワードですw
そのまま道路を反対側へ渡ると、市民広場、旧海軍練兵場がありました。
今はサッカーや野球をやっている姿が見えました。
平和な時代になってよかったです。
その練兵場沿いに進むと、入船山記念館というのがあり、どうやら旧呉鎮守府司令長官の官舎があるようです。
ちょうど閉館の直前だったので、外からしか見れませんでしたが・・・
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こちらもよかった見て下さい。
大和ミュージアム前
最後に、ちょっと迂回して、大和ミュージアム前を通って呉駅に向かいました。
大和ミュージアムにも入りたかったんですけど、時間の都合で・・・
ただ、外に展示されてある戦艦 陸奥のパーツだけ写真に収めました!
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呉 大和ミュージアム前で、戦艦「陸奥」の主砲やスクリューなどを見てみた
よかったら、こちらも見てみてください。
おわりに
広島県の呉に行く機会があったので、ちょっとだけ趣味にはしってみました。
私用があったのですが、その合間というか、バスで移動すべきという声を黙殺し、ひとりで歩いてみましたw
通ったルートは、間違ってなければ、オレンジ色のルートです。
結局、2時間半くらい歩きました・・・
途中、歩道が無く、歩くには危険かなぁという道路がありましたが、迂回ルートも見当たらず、ちょっと困りました・・・
まあ、無事に通れたのでよかったです。
さすがに呉というか、普通に護衛艦が見れますね。
潜水艦も数隻いましたし、見ごたえがありました。
ただ、なんていう艦名なのかはわからないミーハーな私なので、そこがちょっと残念ですかねw
また、どこかに行く機会があり、興味が引かれるものがあれば、記事にしたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。