戦艦 大和が建造されたドック跡が見える丘

呉と言えば大和です。
世界最大級の戦艦が建造された場所に辿りつきました。
アレイからすこじまからさらに歩くこと、15分くらいでしょうか。

呉 歴史の見える丘

歩いているだけで、いたる所に気になるポイントが出てきますね、呉は!

このあたりは、歴史の見える丘と呼ばれる場所のようです。
まず、見えてきたのは、「大和のふるさと」という看板でした。

だいだいだいだい

この記事は、音戸の瀬戸から呉駅まで歩いた途中の、歴史の見える丘周辺の記事です。全体の記事は、こちらから見ることができます!
巡洋艦 青葉終焉の地 記念碑や、海上自衛隊呉基地などが載っています。

戦艦 大和を建造したドックの上屋

何気なく目に付いた看板です。

呉 歴史の見える丘 大和
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さすが呉、大和のふるさとらしいなぁと、そのときは思っていました。

あとから調べると、この建物が、戦艦 大和を建造したドックの上屋らしいです。
上屋を辞書で調べると、船と倉庫との間にあって、荷さばきの中継作業が行われる施設という意味らしいのですが、大和の建造は極秘だったので、ドック自体を覆う屋根のことかなと思っています。

以下の写真だと、左にある長い建物が上の写真の建物になります。

呉 歴史の見える丘 大和
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大和の全長を覆うことはできなかったらしいので、見る角度を変えると、一部は見えたのでしょうか?

ドック自体はすでに埋め立てられているらしいので、大和を建造したドックは写真でみえるドックとは別物になります。
残念・・・

呉 歴史の見える丘 大和
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大和以外にも、戦艦だと扶桑や長門、空母だと赤城や蒼龍などが呉工廠で建造されています。
思いを馳せるだけでも、わくわくしますね。

視線をそのまま北に向けると、呉の町並みが見えます。

呉 歴史の見える丘 大和
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この写真の中央あたりに、小さいですが大和ミュージアムがあります。

また、このとき整備中の護衛艦がありました。

呉 歴史の見える丘 護衛艦
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ナンバーが105なので、「いなづま」らしいです。

艦これで有名な駆逐艦「電」を思い出します。
艦これで知った艦名の護衛艦をみると、テンションあがります!!(ただのミーハーw)




子規句碑前

さて、歴史の見える丘に登ると、子規句碑という碑がありました。
なんだろうと思ったら、あの正岡子規が詠んだ句が石碑となっていました。

呉 正岡子規 子規句碑

碑には、”呉港 呉かあらぬ 春の裾山 灯をともす”とあります。

呉 正岡子規 子規句碑
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この句は正岡子規が、明治28年に友人の古嶋一雄氏が海軍従軍記者として、軍艦松島に乗り組んで出生するのを見送るために、呉を訪れた際,船から日暮れの休山を見て詠んだもので、子規の筆跡を写されているとのことです。
詳しくは、以下をご覧ください。

呉 正岡子規 子規句碑
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遥か昔の義務教育時代かなぁ、正岡子規のことを習ったと思うけど、こういう切欠があればもっと興味を持って学んだとは思うんですよね。
なにごとも、タイミングは重要です。

歴史の見える丘

さて、子規句碑も歴史の見える丘の一部だと思いますが、この看板をみて歴史の見える丘だと知りました。
アレイからすこじまにもありましたが、日本遺産の看板です。

呉 歴史の見える丘 大和
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この場所は、呉の歴史が一望できる場所として、1982(昭和57)年に現在の姿になったようです。

呉 歴史の見える丘 大和
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戦前、戦後の呉の歴史をたどれる高台ということで、「歴史の見える丘」と名づけられたということです。

他にも案内図があり、旧呉海軍工廠の概要を見ることができます。

呉 歴史の見える丘 大和
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これをみると、前述の上屋は、はやり大和を建造したドックを覆っていたこという推測が正しかったと思えます。
また、案内の左端には、呉で建造された軍艦の一部を紹介しています。

呉 歴史の見える丘 大和
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↑は大型艦、↓は中・小型艦ですね。

呉 歴史の見える丘 大和
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子供の頃は、大和くらいしか知りませんでしたが、艦これやWorld of Warshipsを遊ぶようになって、名前だけはいろいろ分かるようになりました。
これらのリストをみて有名どころの艦が多く呉で建造されたんだなぁと、ちょっと感動!

呉 歴史の見える丘 大和
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さて、案内板はこれくらいにして、ドーンと存在感のあるメイン(私にとって)の塔に目を向けます。

噫戦艦大和之塔

最初に見たときは、恥ずかしながら、一文字目の漢字が読めませんでした・・・
あとで調べてみると、噫(ああ)戦艦大和之塔と読むそうです。

呉 歴史の見える丘 大和
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この塔は、1969年8月8日(昭和44)第30回大和進水日を記念して、戦艦大和を建造した旧呉海軍工廠を望むこの地に建てられたそうです。
大和の艦橋をかたどった塔で、灯篭のように両側にたたずむは、徹甲弾でした。

呉 歴史の見える丘 大和

左側は、戦艦長門の徹甲弾でした。

呉 歴史の見える丘 大和
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長門も旧呉海軍工廠で建造された関係での展示でしょうか。
日本の象徴というイメージでは、今は大和かもしれませんが、当時は長門の方が有名だったそうです。

そして、右側のが大和の徹甲弾でした

呉 歴史の見える丘 大和

大和の方が、主砲の口径が大きいので、こちらの方が若干大きいのが分かります。
(大和が46cm、長門が41cm)

呉 歴史の見える丘 大和
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パッと見ですが、こんな鉄の塊が42kmも飛ぶのかぁと思ったり、人に当たればひとたまりも無いと思うけど、戦艦にあたったとしたても、ダメージはそれほどでもないのではないかなぁと思ったり。
想像が追いつかないから、イメージできないんですよねw

最後に、この塔の由来の説明文ですが、すみません、写真が上手く撮れていなくてよく読めませんでした・・・
機会があれば、撮り直したいと思っているのですが・・・

呉 歴史の見える丘 大和
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今時の写真の解像度ならいけると思ったんだけどなぁ、そもそもそれ以前の問題で、色合いの関係で文字の判別がよくできませんでした・・・




海上自衛隊 呉地方総監部

歴史の見える丘から歩いて10分くらい、海上自衛隊 呉地方総監部が見えてきます。

呉 海上自衛隊 総監部
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第1庁舎・旧日本海軍地下作戦室は、日曜日に一般公開されているので、この日が日曜なら見てみたかったです。
レンガと御影石とで調和のとれた呉に現存する代表的なレンガ構造物とのことでした。

一般公開については、こちらをご覧ください。
事前に申請が必要なようなので、興味のある方はお気をつけください。

そして、ここでもありました、日本遺産の看板w

呉 海上自衛隊 総監部
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この地が、旧呉鎮守府庁舎だったとあります。
現存するレンガ造りの第1庁舎の遍歴が記載されています。

呉 海上自衛隊 総監部
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海上自衛隊の方だと思われる制服を着た集団も近くで見ることができました。
そういえば、護衛艦の乗員の中には、艦これユーザーもいるとのこと。
擬人化されたイラストを護衛艦に飾ってる写真を見たときは、びっくりした記憶がありますww
そういうのは、一般公開日だけですよね?ね?ww




おわりに

今回は、音戸の瀬戸から呉まで歩いたなかで、「歴史の見える丘」付近の様子を紹介してみました。
戦艦 大和を建造した場所だと思うと、なんだか感慨深いです。

整備中(?)の護衛艦も見れましたし、呉はいたる所に旧海軍や海上自衛隊に関連するポイントがあり、飽きない町ですね。

記事のはじめにも記載しましたが、他にも戦艦 大和の記念碑や巡洋艦 青葉の記念碑などの記事もあり、以下のリンクより辿れますので、よかったらそちらも見てみてください。

大和のふるさとの呉~音戸の瀬戸、聖地巡礼じゃないけど、ぶらり歩いてみました

最後までお読みいただき、ありがとうございました。